最終更新日
Thu, Mar 13, 2008
「指導に使われることば」

3)短いことばに多くの意味
 しかし、スポーツの指導の場ではそうした粗野なことばが飛び交うのがふつうである。ことばで正確に伝えようとすれば、どうしても長い説明になりがちで、それを避けようとすれば短いことばに多くの意味を込めることになる。短い単純なことばに多様な意味が付与されるわけで、受け手側に「ことば以上の意味を理解する」という努力が要求される。

 加えて、スポーツが身体を介する以上、感覚を通した理解が求められることがあり、それは「精密コード」に則ったことばでは表現しきれないことがある。小説家であれば、比喩を使いながら婉曲的に訴えかけられるのだろうが、ことばの表現の素人には難しい。こうしたことから、端から見れば指導者の説明はことば足らずに映ることがあるのは避けられない。

 しかし次のことも考慮すべき問題として生じることも忘れてはならない。すなわちことばによる説明能力が不足しているからと言って、その指導者が感覚能力・認識能力に劣っていることを意味しているわけではないということである。子どものどこに欠点があるかをわかっていながら、共通理解できることばに載せて伝えるのが難しいのだ。

 外国人コーチの指摘を、ことばが通じないのにもかかわらず理解できるのは、お互いに感覚能力・認識能力で通じ合うところがあり、ことばを介さずとも理解できるからである。ことばの抑揚や語気、あるいは話すときの仕草など、ことばに随伴するものも記号になっていて、練習の場で過ごす時間が長い指導者とプレーヤーたちの間では話されることばが少なくてもお互いに了解できる。部外者にとっては舌足らずのことばであっても彼らには理解できるのだ。